会社案内 原田酒造
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ごあいさつ
 人は喜び、悲しみ、出逢い、別れの度あるごとに酒を飲むようになりました。そして我々日本の文化とともに酒は飲み続けられてきました。
 文化とともに生きる酒、文化は人が創造する。 “だから酒も人の手と心で造りたい。”それが私どものこだわりです。

 徳川家康公御生母“於大の方”生誕の地、東浦で酒を造り始めて早、164年。
 これからも知多半島ならではの地酒の味と、地酒ならではの楽しみを皆様にお届けできればと思っております。
会社概要
■会社名   原田酒造合資会社
■代 表   原田 晃宏
■所在地   愛知県知多郡東浦町生路坂下29
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■連絡先   TEL.0562-83-5171 FAX.0562-83-5172
■創 業   安政二年(1855年)
貯蔵タンク
仕込み
  発酵   仕込み米
  蒸し   タンクの中の原酒
仕込み
蔵開き01
  蔵開き02   蔵開き03
蔵開き04
 
沿革
■原田徳右ヱ門により創業   1855年
■会社登記により社名を原田酒造合資会社とする。   1957年
■伊勢湾台風により酒蔵損壊、現在地に移転。   1959年
知多の歴史と風土
 創業安政二年(1855年)に原田徳右ヱ門により創業しました原田酒造。
 そのころ我が国では、彦根藩主井伊候が江戸幕府の大老職にあり、開国派と攘夷派に分かれて争っていた時代です。
 【安政の大獄】によって攘夷派を抑えようとした井伊大老は、安政七年(当蔵創業から5年後)に江戸城桜田門外で攘夷の名の元、水戸藩士によって暗殺されてしまいます。その後、江戸幕府の力が急激に衰え明治維新へと進み行こうとしていた時代です。

 愛知県の知多半島は、西に伊勢湾、東に三河湾に面した南北に長い半島です。 その半島の付け根あたりに東浦町があります。
 東浦町は東に【衣が浦】(ころもがうら)という湾を望み温暖な土地柄ですが、冬には伊吹おろしにより寒暖が激しく、酒造りに適した気候の土地柄であります。
この南北に長い知多半島の中心部は小高い山が走っていて、小さな河川が何本も流れています。これらの河川の伏流水が酒造りに必要な豊富な水の恵みを与えてくれました。
 気候と水の恵まれた環境からも、知多半島の醸造の歴史をうかがうことかできます。

 知多半島は今では蔵の数が少なくなりましたが、江戸時代は上方と江戸の中間地として海上交通の要所として栄えました。
 そのころ江戸では、知多半島の酒は上方と江戸の中間地という意味から『中国酒』と呼ばれ、もてはやされ“下り酒”として江戸時代から明治中期にかけて灘に次ぐ生産地として繁栄した地域でした。
 “くだらない物”という言葉にもあるように江戸に下る物が重宝された時代でもありました。
終始一貫した手作りへのこだわり
 原田酒造は東浦町生路(いくじ)にあり昔は【生道・伊久智】と書き呼ばれていました。
 【生道井】(いくじい)の名は、蔵の西方に位置する日本武尊(やまとたけるのみこと)ゆかりの井戸『生道井』より命名された創業時からの代表銘柄です。また、この蔵から望む小さな湾の“衣が浦”から【衣が浦若水】の商品名が生まれました。

 杜氏は越後杜氏に学んだ愛知県豊川市出身の今泉 克康です。
 越後杜氏流の伝統技術、そして原田酒造の創業よりの味わいをしっかり守り、昔ながらの杉の甑(こしき)で蒸し米をふかし、適切な温度管理で醪(もろみ)を成熟しています。また、搾りで『槽(ふね)搾り』といって酒袋を積み上げていく、昔ながらの方法で終始一貫した心のこもった『手造り』をかたくなに受け継いでおります。
酒が持っている効用
一徳 独居の友 酒は一人で飲む時でも友人のように淋しさを紛らわしてくれる。
二徳 万人和合す どんな立場の違いがあろうが酒は人と人とを和ませてくれる。
三徳 推参に便あり 土産に持って行くとこれ程喜ばれるものはない。
四徳 旅に滋あり 旅の酒は多くの人と近づきになれ恵みを与えたり与えられたり           する。
五徳 労をいとう 疲れた体をほくしてくれる。
六徳 憂いをわすれうつを開く 嫌なことや気のふさぎを解いてくれる。
七徳 縁を結ぶ 酒は人と人との絆を強くする。
八徳 寒気の衣となる 冬の寒い日は暖かい衣のようになる。
九徳 延命に効あり 上手に飲めば人寿を延ばす。
十徳 百薬の長
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